平成22年度 通常総会

長野県建築士会の平成22年度通常総会が塩尻市レザンホールで開催されました。

帰路、支部長の発案で、塩尻市の永福寺へ寄りました。
ここの観音堂 は安政2年(1855)立川流の二代目和四郎富昌の作 とのことです。
また、本堂・庫裡は諏訪支部会員の設計です。

山門

観音堂。茅葺きで、軒下から小屋組が見えるつくりになっています。
以下、塩尻市ウェブサイトからの引用です。


諏訪の大工棟梁立川和四郎は、近世の名工「立川流和四郎」の名によって知られ、幕府から内匠の称号を受けており、名作として名高い、国宝京都御所・諏訪大社・三州豊川稲荷・駿州浅間神社などがある。
初代和四郎は富棟といい、文化4年、64歳で没しているが、特に建築にすぐれており、2代目和四郎富昌は彫刻に名作を残している。
塩尻市周辺では、初代和四郎作のものに北小野の矢彦神社拝殿(天明2年)、松本市和田の無極寺本堂(享和1年)、2代目富昌の建築は平出の伊夜彦神社本殿(文化14年)、北小野の矢彦神社神楽殿(天保13年)等がある。
永福寺観音堂については、安政2年、2代目富昌と結んだ請負契約書も現存している。富昌は塩尻宿の沢潟屋に泊まり、棟梁のかたわら、堂の彫刻に精根をこめていたが、翌安政3年11月4日、彫刻用材とするため、境内の大ケヤキの枝おろしをしていた際、枝に打たれて74歳で死去した。
その後、工事は3代目富重がうけつぎ、4年後に完成したのが、現存の観音堂である。
したがって、この観音堂は2代目富昌の遺作であり、見るべき彫刻としては、向拝の中備にある竜の彫刻、頭貫の先端の象、つなぎ虹梁の獅子、たばさみのボタンの彫刻等がある。



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